メンタル終わり終わり人間と夢小説

メンタルが終わっている。

色々あったので細かな事情は割愛するが結論から言うとメンタルがとんでもないレベルで終わった。

眠れないし暑さ寒さも感じないしお腹が空かないのだが、特に美味しそうとも思えないのにお惣菜を買ってきてとりあえず胃に入れている。食わないとさらに思考が終わるので。そして眠くもないが頑張って寝ている。寝ないと思考がさらに終わるので。

今日の夢の中で、祖母が「ウサギちゃん、サイダー飲む?」と声をかけてくれた。12月に亡くなったばかりの祖母は三ツ矢サイダーが大好きで、よく近所の個人商店で買ってきては学校帰りの私と飲んでいた。ほんとうに優しい人だった。

まるで私のことを心配してくれているような夢で、思い出した瞬間泣き崩れた。そんな祖母に申し訳が立たず、あの世で合わせる顔もないのでまだ死ねないなあと思う。思うのだが、正直言ってかなり生きる気力が削がれているのが現状だ。

 

楽しいことの楽しさはスクルトでもされたかのように半減し、つらいことのつらさはルカニでもされたかのように響いて痛い。おじさんなのですぐにドラクエで例えてしまうことを許して欲しい。若い子(にギリギリまだ分類されるであろう年齢の私が言うのもおかしいが)には通じないことは百も承知だ。わかりやすく言えばバフデバフの話である。

 

そういう状況だが、とりあえず生きている。どうやって生きているのか自分でもイマイチよくわからないのだが、確実に私は生きている。

 

油断すると頭の中でよろしくないネガティブな考えをこねくり回し、そこそこの高さであるマンションから舞空術でも試みてしまいかねないので極力頭の中を空っぽに……、できない。むしろ空にするとその隙間を埋めようとろくでもない考えが広がり、明日いきなり人造人間が現れて世界を破滅させてくれないだろうかと思ってしまうので全く関係のないことで埋め尽くしてやらないといけない。油断すれば発狂した私が人間ゼロ計画を始めかねないのだ。

先程のドラクエに続いてドラゴンボールも例えに出してしまった。許してほしい、おじさんなのだ。

 

そういうわけで、私は今pixivに引きこもって小説を読んでいる。物語を読むことは昔から私にとって最大の現実逃避だった。

字を読むことで頭を働かせ、その字から拾った情報で情景を膨らませ……、と頭を忙しなく働かせているおかげで雑念を抱かずに済むのである。だからずっとpixivで小説作品を読み漁っていた。

ついでに言うと、こうしてアウトプットするのもまた余計な雑念を振り払える行為なので悪くなかったりする。と言っても物語を生み出すほうのバイタリティというか、燃料というか、ガソリンというか、とにかく思考の言語化ではないまた別の作業を行うエネルギーはちっとも足りていないため、おそらく新刊は落とすだろう。

というか、今のところ来月のイベントに出られるかも怪しい状態である。もう少し私の内情が落ち着いたら小説の寄稿を予定しているフォロワーに連絡を取りたいと思っている。これに関してはほんとうに申し訳ない。

そもそも新刊を落としたら出せるものがないのだ。既刊はあるが、スペースはABなのに出すものがBCという最悪の状態になってしまう。攻め違い受け同じとかならまだしも、受けが攻めになってるカプは流石に怒られると思う。まあ厳密に言えば二つのカップリングに出てくるBは顔と名前が同じだけの別人なのだが。色々と察して欲しい。私は今、世界一顔がいいパンツの話をしている。そういうことである。

 

話が逸れたが、現実逃避、そして脳の危ない活動を止めるためにpixivで小説を読み漁っている。しかも、なんと読んでいるのは夢小説である。

メンタルがおしまいになる前日、フォロワーと会って遊んだ(原稿をした)時にたまたま夢小説の話をした。その時に凄まじい熱量の作品をお見かけし、その作品を不意に思い出したのでどん底メンタルの中で読んだのである。

恐ろしいほど心が震えた。

かつてない経験だった。この言い方をよく思わない方もいるだろうが、私は確かにあの瞬間、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃の中に身を浸していた。凄まじかった。

 

少し私の話をしよう。

実のところ私は元々夢女子だった。セフィロスという男に狂わされ、夢小説というコンテンツに出会い愛してしまった過去がある。あれは忘れもしない、11歳の冬だった。

物語の中に、私ではない私がいた。皆もお気づきだろう、名前変換機能である。あの機能の力で、顔も知らない誰かの書いた物語の中に私を住まわせてしまったのである。世界が足元からぶわりと広がるような感覚を今でも私は忘れられない。

余談だが、私はドラクエを初めてプレイした時にも自らの名前が画面に出てくる喜びに震えるという同じタイプの経験をした。どうやら私はあの感覚に弱いようである。

さて、かくして新たな「物語の中の私」の住処を見出した私はすっかり夢小説に夢中になった。そして私は夢小説の強烈な良さを知った。そこからさらにBLへと発展していったのだが、これより先は本題から逸れるので割愛しよう。

とかく私は、かつて夢女子であった。

 

ところで、夢小説と聞くと大多数の方はキャラクターと恋愛したい人間が読むものとお思いだろう。その言葉は半分正解で、もう半分は不正解だ。そういう人も多いし、そうでない人も多い、と言った方が適切かもしれない。

基本的に夢小説とは、オリジナルキャラクターと既存作品のキャラクターがなんらかの関係性を築き上げる究極のメアリースーコンテンツである。メアリースーが大暴れし、時として原作の結末すらも書き換えてしまう。時の界王神が聞いたら怒りそうな歴史改変コンテンツだ。夢女子もいつか自らの世界線を全王に消されてしまうかもしれない。こいつまたドラゴンボールの話をしている。

メアリースー、これからは夢主と呼ぼう。その夢主との向き合い方はほんとうに人それぞれだ。もちろん自己投影してヒロインとしてキャラクターの恋愛を楽しむ方もいるし、一個のキャラクターとして愛しカップリング的に推しとの関係性を楽しむ人もいる。

ちなみに私は名前のくだりでもなんとなくお察しかとは思うが強烈な自己投影派だ。自己投影できないと嫌だ。名前変換機能がないと読むことすらできない。

 

そんな夢小説だが、私は単に推しとの恋愛小説ではなく一人の人間に対する信仰じみた感情を具現化したものだと思っている。

というかそもそも推しの恋愛している姿を見たいだけなら夢小説でやる必要はあまりないとすら思っている。わざわざ夢主などとオリキャラを用意せずともカップリング創作をすればよいのだから。

もちろん作品によってはカップリングにできそうなお相手がいなかったり、女オタク特有のBLカプ史上主義が強く男女カプの主張ができ難かったりと、個別に事情はあるので一概には言えないのだが、多くの場合で恋愛姿を見たいだけなら夢でなくともできることが多い。現に私はそれで長いこと夢女子をしていなかった。BLカプを作っていれば済むのだ。

ついでに言えば、私はゴリゴリの自己投影派だが別にヒロインとして恋愛に興味はさほどない。してもよいが、しなくてもよい。そんな程度のものである。

では何故夢小説に適性があるのかと言われたら、それが信仰の表れだからである。

 

先程述べたが、夢小説は基本的にオリジナルキャラクターと既存作品の既存キャラクターの対話を中心としたコンテンツである。

そうなると自然、お相手となるキャラクターへの書き手の愛情、解釈、思想、情念、理想、様々なものが一気にぶつけられることになる。こういうことが起きた時、こう振舞って欲しい。こういう言葉をかけられたら、こう受け止めて欲しい。そんな思いを一人のキャラクターに全身全霊で背負わせる。

夢小説とは、一人のキャラクターへの書き手の思想を反映した鏡なのだ。

少なくとも私はそう思っている。だから私の場合は、恋愛ではなく書き手がそのキャラをどんなふうに愛しているのかの感情の軌跡が見たい。解釈や思想が見たい。いわば研究レポートを読んでいるような感覚なのである。

カップリングもの(男女であろうがBLであろうが)は関係性を主軸に置いている一方、夢小説は関係性よりもむしろお相手となるキャラの魅力にフォーカスしていることが多い。夢小説のそういう点が好きなのだ。

この人はこのキャラをこんなに魅力的だと思っているんだ、という感情をこれでもかと全身で浴びたい。

 

先程、pixivでお見かけした小説を読んだと書いたがその作品がまさに上記のような内容だった。

具体的なキャラ名を伏せての記載がものすごく難しいのだが、作中悪役として登場したそのキャラは、悪役らしい残忍さや狡猾さを理知的な態度と喋りでもって見せながら、どこかにユーモラスさをも持ち合わせ、いわゆる人間とはやや成り立ちの違ういきものでありながらも時として妙な人間くささを発揮し、何よりびっくりするほど顔が良く、そのくせおそらく人の心はないやつである。

私の読んだ作品は、そんな某キャラの解像度が異様に高かった。ユーモラスさとサディズムと残忍性とどうしようもない人間らしさ、相反するそれらを無理矢理に繋ぎ合わせたような存在が、一人の人間に対して向き合った時に見せるであろう表情や行動。こうであって欲しいという書き手の願望が、嫌味なく、だが克明に作品の中に溶け込んでいた。

それは完璧なそのキャラクターの論文であり、エンタメだった。

だから私は恋愛に興味がないのに夢小説が好きだったんだな、とすとんと胸に落ちてきた。

 

とはいえ、正直に言えば上に書いたキャラクターがかなりアホみたいに私の好みの描き方をされていた事実は否定できない。

先述の通り、私はセフィロスのおかげで夢女子となった。やつもまた悪役として登場し、残忍さと冷酷さと情けないくらいの人間らしさを持ち合わせ、びっくりするほど顔がよく、一応は人の子でありながらもかなり作り物じみた男である。そうやって抜き取るとわりと結構似ている。くやしい。

そんなセフィロスサディズムをぶつけられ、監禁され、最終的に殺してもらったりが日常茶飯事だったので、正直そういう方面からそのキャラを描かれたのがかなり嬉しかったことは否めない。私は暴力の中に潜むどうしようもない感情に美を見出すタイプなので、ヒロインが監禁されるといよいよ嬉しくなりがちだ。どうしようもない。

一応言っておくが私は特にマゾではない。というかなんならそのサディズムの権化みたいな振る舞いで描かれていた某キャラのことは、BL的文脈に捩じ込めばマジでどうしようもないドマゾだとすら思っているので。

 

話が逸れた。夢小説の話題に戻ろう。

そういうわけで夢小説をキャラクターへの思想の表現と捉えている私だが、そんな私が夢主に自己投影がしたいのは、言ってしまえば思想を浴びせられる当事者になりたいからなのである。当事者となって目の当たりにしたいのだ、そのキャラの美しい表情を。

夢主の目から見た姿を一番美しく理想的な姿として描いているのなら、私はその目線に立ってそれを見たい。夢主にしか見せない表情を愛おしく感じているのなら、私はその立場を借りて表情を見てみたい。

キャラから自分に感情を向けられたいというよりは、感情を向けてくる瞬間に見せるキャラの美しい表情を一番いい席で見つめていたい。そういう感覚である。

正直に言えば、夢小説に限らず私はどんな物語でも当事者になりたい。その作品の中に自分を置きたい。自分と作品世界の繋がりがどこかにあってほしい。だからよく「この物語には自分がいないからハマらなかったな」という物言いをメモや壁打ちなどの個人的な場でやっている。余談だが、ドラクエを愛していたのは、私が当事者になれたからである。

 

自己投影派であるもう一つ理由を述べるとすれば、そもそも夢主は無色透明の存在であってくれたほうが作品に向き合いやすいという個人的事情だろうか。

繰り返しになるが、私は夢小説を既存キャラクターへの熱烈かつ強烈なラブレターであり思想だと思っている。だから色のついた夢主は正直に言えば私の楽しみ方としてはノイズになってしまうのだ。何せ私が浴びせられたいのは、原作にもいない知らない女ではない。原作にいて、かつ私がよく知っている男だ。

また先に述べた通り、私はその作品で描かれているキャラの一番素敵な姿を一番の特等席で眺めたいと思っている。

そういう贅沢をさせてもらえる作品にはあなたの思う素敵な推しキャラの姿を一番いい席で見させてもらえるんですか、と感謝の念を抱く。というか、そもそもこんな主観的特等席が用意されているのは夢小説というジャンルの特権だ。だからその席に知らない存在がいると面食らう。すみませんとでも言いたくなるのだ。

例えるならば、ここなら見やすそうだなと座ろうとした席に荷物が置かれて席取りされていたようなものであろうか。座席を探して座ろうとしたその場所にはもう先客がいた。そうなれば我々は、最初の席の次に見やすそうな座席を探そうとするだろう。

この座席探しが私は億劫なのだ。そこに手間をかけるくらいならば一分一秒でも長く書き手の思想を感じたい。できることなら事前に座席指定で予約をしておきたい。名前変換のボタンを押して、表示されたフォームに自分を没入させられる任意の名前を入れることで、座席の事前購入を行なってしまいたいのである。

とはいえキャラ×作者もまた思想の表明の一つだと思うので、それは大いにやってもらえばいいと思う。なるほどこの劇場は満席なのだな、と納得して静かに去るだけだ。

 

そういうわけで、私は私の方法で夢小説というコンテンツを愛する気持ちを取り戻してしまった。だから私は今狂ったように夢小説を浴びているわけである。

色々と見てきたが、やはり好みの味は悪役キャラに多いイメージだ。おっとり優しいお兄さんに腹黒ドS要素を見出せないし、無性人外恋愛感情わからない師匠とエロいことはそんなにしたくない。女好きの最強かわいい末っ子に塩対応するのは可愛いし、幼馴染みがからかってくるのは最高だ。既婚者は倫理的にやはり母数が少ないか。にしてもなんか夢小説が多い神と少ない神がいるな。

そうした傾向を読み取るのも楽しく、理解はできずとも作品に示されているのは思想なのでこの人にはこう見えているのか、を特等席で眺めるのも楽しくはある。

それでもやっぱり好みというものはあるので、やはり一番琴線に触れたのは上記キャラだったという感想になってしまうのだが。別の方の作品もかなり思想が出ていて良かった。

 

それにしても、何故みんな吸収されたがるのだろうか。

お察しください。

 

以上です。

書き終わったら脳が現実に引き戻されておしまいになる。助けてくれ。

はやく人間ゼロ計画を完遂するもうっかり殺し損ねた人間の女を面白半分にペット的な文脈で監禁してみたら次第に情が湧いてきて情緒がめちゃくちゃになる神がいる世界線とかになって欲しい。

 

ここから追記

どうしても言いたいことがあったので追記をしたい。

私が今までこのように明け透けに夢小説の話をしたのも、自己投影型であることや名前変換がないと読めないことをつまびらかにしたのは、ひとえに情緒がおかしくなっているからだ。平常時の私ならば理性が働き口にできない言葉だった。

それは何故か。

夢小説という媒体も、名前変換機能も、自己投影型の楽しみ方も全て身近な人間に指を指して笑われたからである。

私は大学生の頃までやたらこのような他人から不当に何かを否定されるできごとに見舞われまくっており、おかげで無事に人間不信となりメンタルがボコボコに折れやすくなった。

私自身、良くも悪くも出来事を忘れることが不得意な脳の構造をしており、また言葉を繊細に受け止めてしまう時がある性質は作用しているようにも思うが、それはともかくお前ら全員不幸になれ。

 

そういうわけで、私はかつてこれらの楽しみ方を否定されてきた。今にして思えば好きと言っている人間の目の前でそれを否定してのける人間の側に問題があると言えるのだが、当時はそうも思えず、おかげで恥ずべきことでもないはずなのになんとなく恥の意識を捨てられないままに今日まで生きてきてしまった。

だが、今の私は自暴自棄の塊だ。だから書くことができた。そういう意味では、たまには心が折れるというのも悪くはないようにも思える。

もちろん、どう考えてもいいことでもないが。