拝啓、14歳の私へ

10年前、あなたは修学旅行で東京を訪れ、バスガイドのお姉さんの「こちらが新橋演舞場です」という渋すぎる観光紹介に、バスの車内でただ一人だけキラキラと目を輝かせていましたね。ああここが、ここが短い宣伝動画でしか見たことのない、あの『蛮幽鬼』を上演した場所かと。堺雅人が立った舞台があるのかと。

今日、私は新橋を通過しながらそんな昔のことを思い出していました。あの頃のあなたは、まさか蛮幽鬼と10年後の自分がめっちゃハマったアニメの同時上映に早乙女太一中島かずきトークショーまである激ヤバ上映に軽率すぎる参戦を決め、有給日数がヤバいから翌日はもう休めねえ!と早朝に飛行機に乗って帰ろうとしたら台風が来て欠航フラグが立つことになるなんて思ってもみなかったでしょう。台風に関しては10年後の私も予想外だったから安心して。マジでなんとしても帰りたい、有給がないから……。(この後無事に欠航しました。さよならあたしの有給)

というわけでね!!!!チケット取れたので行きました!!!!蛮幽鬼×プロメア 一夜のチャンピオン祭り!!!!祭りじゃあ!!!!10年後の私はあまりにも緊張してしまい、上演開始40分前には映画館に到着してしまい一番乗りを達成するという愉快な動作をキメました。とりあえずトイレを済ませ、身の置き所がないので座るじゃないですか。

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ア゛!?!?!?!?!?!

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プロメア(顔が近いほう)

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プロメア(公式に餃子コラされたほう)

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蛮幽鬼!!!!!!!!!

 

高解像度の紙!!!!

は……?何わからん苦しい興奮する。死にました。ありがとうございました。

この後劇場内に入ったら入場特典のカードもらいました。公式が狂気の上映するよ!って言った時の画像。あれをカードにしたものをもらいました。は?????2019年にもなって蛮幽鬼の新規印刷物貰えると思わなかったんだが????家宝にすればええんか????

なお、中では覚醒と蛮幽鬼のメインテーマ無限ループで出迎えられました。アガるやつと情緒が死ぬやつループすんな。どういう情緒で聞けというのか。

 

 

 

そして始まる蛮幽鬼

音響が良すぎて死んだし、久しぶりに最後まで続けて観たらやっぱり好きでした。

あとサジに対する感情がデカくなりすぎてて苦しいんですけどマジで助けてほしい

助けてほしい……。元からサジのこと大好きでクレイの演技を初めて聞いた時も「蛮幽鬼であの芝居ができた男なんだから上手いのは当たり前じゃないか!!!!」みたいな感想ぶち上げた女なんですけど、なんかサジ見てる時の感情のクソでかさが5回目にクレイ見てた時と全く同じになってて本当にダメでした。ダメになった。

※私はプロメア5回目の時にクレイに対する感情が溢れて止まらず、応炎なのに後半お口ミッフィー腕組み彼氏ヅラムーブをキメ静かに泣いていたオタクです。

サジって、力のある自分を誰からも肯定されなかった男じゃないですか。サジの持つ力そのものは必要とされるのに、サジ自身のことを誰も必要としなかった。どころか族長はその力を恐れてサジを殺そうとした。作中語られたのはこのエピソードだけでしたけど、そういうことが今までの人生で何度もあって、その度ごとに裏切った相手を殺し続けて壊れてしまったんじゃないかなとか。そんなことをひたすら考えてひたすらしんどくなってました。

9年前、スクリーンで初めてこの作品を見た時、名状しがたい大きな感情で胸をいっぱいにされたんですよ。当時15歳だった私には抱えきれなかった巨大な感情。そんな私の印象に焼きついたのがサジで。あの時からずっと、見るたびにしんどかったんですけど、今回が一番しんどかったです。断言できます。

しんどい!!!!

 

 

で、トークが始まるわけだけど

早乙女太一が実在してて、中島かずきが実在してました。実在してたんですよ。当たり前体操!!!!いやなんかもう実在してるすげえ!終わり!みたいなところありましたもん……。だって実在してた……。

トーク内容色々あるんですけど、私がここで書くよりツイッター探してもらったほうが早いと思うのでここでは特に触れないでおこうと思います。記憶力に自信がないからね。昔聞いたのにすっかり忘れていた蛮幽鬼における登場人物の名前の法則とか、安定の体育2エピソードとか、そういうものでニッコニコしてしまいました。あと、蛮幽鬼初見の人がめちゃくちゃ多くてびっくりしたんですよね。マジで?ってなりました。マジで?半々くらいかと思ってたけどほとんどみんな初見だった。え、みんな大丈夫……?呼吸、できてる……?

あと堺雅人が体育2というエピソードを初めて知ったらしいお姉さんたちが堺さん可愛いね〜!と語っててほっこりしました。その人テーピングのやり方全然わかんなくてミイラみたいにぐるぐるに巻いてたから上川隆也にちゃんとしたテーピングの方法教えてもらってたりしたからよろしくね……、この記憶それこそ10年レベルで前のやつだから何かと混同して間違ってたらごめん……

 

 

 

プロメアが理解できない

そういう流れからのプロメア、マジで唐突に始まったので最初ほんとに理解できなくてびっっっっっくりしました。エッ……!?なんかいきなり私の好きなやつ始まってない!?エッ……!?曲かっこいい、なに!?みたいになってて。初見の時と同じ情緒になるというまさかの展開でした。頭がぜんっぜん追いついてない。

そんな中プロメア見たんですけどね、クレイはガロのこと目障りだって嫌ってるくせに殺すこともできず閉じ込めて遠ざけるだけじゃないですか。バーニッシュとしての力をぶっ放してもうどうにでもなれと破れかぶれになるまで、殴ったあの一発以外は何一つ直接的な危害を加えられなかった。それどころかガロに勲章さえ与えてるんですよ、この男。確かに状況が状況だったしガロに間違いなく功績があるとはいえ、ヴァルカンの指摘通り本来は越権行為なのにそれでもガロを讃えてるってもうめちゃくちゃなんですよ。

でね、そういうことをぐるぐる考えてたら、要するにクレイはガロを心の底から嫌えなかったんだろうなって思ってしまって。いかに目障りであろうとも、いかに自分の過去を突きつけられて苦しかろうと、それでも自分を好いて慕ってくる子供のことを無下にできるほどクレイは冷めてなかったんですよ。だったらもう、ガロに嫌ってもらうしかなかった。自分がガロを嫌いになれないのなら、ガロから嫌われればいいと。ガロに嫌われれば、じゃあもう仕方ないと諦めがつくじゃないですか。

だけどガロは自分を嫌わなかったし、諦めてくれなかった。クレイ自身が肯定できず嫌悪し続けた力をどれだけ誇示しても、どんなに惨めな姿を晒しても、それでも自分を諦めなかった。それがクレイという人間を繋ぎとめたのかなって思ったんですよ、蛮幽鬼見た直後だったので思考回路が完全覚醒してたんですよね、何もわからんとか言ってたくせに。

というわけで今からそういう話を延々とし続けます。この二つの作品を同時に上映した意味をひたすらひたすら、もはやこじつけでは?というレベルまで考え込んでしまった哀れなオタクのレクイエムであり、これが私の蛮幽鬼とプロメアの解釈です。劇場でプロメアを見るのもこれが最後だと思うので、一旦ここで区切りをつけるためにも、私の中にある感情を全部吐き出してやろうと思います。ただひたすら自己満足のために書く文章です。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

ガロはよく「死なないカミナ」って言われてるけど、同時に「復讐に走らなかった土門」でもあったのかなあと思うんですよね。リオくんは消えないニア、みたいな意図されたものではなく、中島かずき自身の復讐という行為の捉え方が色濃く出た結果、ガロと土門が綺麗なコントラストに見えるようになってるってだけかなとも思うんですけど。それでもやっぱり、ガロは土門のifという側面あるよなと思ってしまって。

ずっと慕っていた命の恩人クレイが、偶発的な事故であったとはいえ両親を殺しており、そのクレイに(どう考えても心からそう思ってはなさそうですけど)死んで欲しいと思われ疎ましがられていたので、クレイのことを憎んで復讐に走ったってよかったはずなんですよ。でもガロはその選択をしなかった。確かにガロはクレイに疎まれていることを知ってから10日間しか経っておらず、一方の土門は10年投獄されてるのでそりゃあまあ時間が違うよって話ではあるんですけど。しかもガロあれ投獄は投獄だろうけど相当人道的に扱われてるしな……。しかも両親が死んだ理由聞かされてクレイのことぶん殴るまで何分?みたいなレベルだし……。それでもやっぱり、土門ほどの煮えたぎるそれではなかったにしろ、どこかにクレイを憎む気持ちがあってよかったはずなんです。だけどそんな要素一欠片も見つからないじゃないですか。

それどころか「俺は助けるぜ。リオも、地球も、アンタもな!」とまで言ってしまう。クレイを憎むどころか、クレイさえ救おうとしている。このセリフ以外にも「今消してやるぜ、アンタのくだらねえ野望の炎もな!」とか言ってるんですよガロって。野望の炎を消してやるって、つまりクレイが囚われていた英雄思想や過去を悔いる気持ちから生まれるバーニッシュ憎悪の感情から救い出すって意味じゃないですか。結局のところ、クレイを苦しめてるものって、ガロの言う「野望の炎」なので。我々も驚くほどにクレイのことを理解してるんですよ、ガロって。自分の運命を狂わせた男から目を背けず、真っ直ぐ見据えて正しく理解し、運命を狂わされたことを恨まず憎まず、彼が苦しんでいる最大の原因を取り除いてみせた。成し遂げた先に何も生まれない復讐に走らなかったから、ガロは何も失わなかった。リオも、地球も、クレイも。何一つ欠かさず、全てが終わったあの街を見つめながら笑っていられるんですよ。

土門もね、浮名と唐麿が死んだ地点で復讐の無意味さを直視さえできていれば、もしかすると結果は違ったと思うんです。今ある全てを失わず、笑って過ごせる未来が来たかもしれないんです。ペナンたちがそう願ったように、海に出て貿易をして、それで幸せになれたと思うんですよ。彼が頭が良くて、公明正大な真っ直ぐな人物だったことはあらゆる局面からもわかるじゃないですか。蛮心教の教主として民草を惹きつけるカリスマ性だってあった。ポテンシャルしかないんですよ、土門は。なのに、それがたった一つのボタンを掛け違えで全部崩れてしまって。自ら逆賊の名前を背負って死んでいくことになるんですよ。もっとも、サジがいる地点で土門が復讐を終わらせる未来が来ることなんてないし、復讐の無意味さを直視し理解したとしても、その場合はサジに用済み扱いされて殺されるのが関の山という逃げ場のなさがもう本当に……、本当に…………。土門の本当の不幸は濡れ衣を着せられたことではなく、悪魔に魅入られたことだと思います。

いやでもほんとさ……、過去に囚われてて未来が見えなくなってますよね土門ってね……。美古都への思いも断ち切れてなかったのも過去に囚われていたからこそだと思うんですけど、思うんですけど、ペナン絶対土門のこと好きだったじゃないですか。お前よく見ろと……。海に出るという選択肢も、自分を愛してくれている存在も、全部見える場所にあるのにもう見えてないんですよ……。てか見ようとしてないんですよ……。サジにも言われてたけど……。その弱さをサジにいい感じに利用されてるんですけど。まあそんなサジ自身を含めて登場人物みんな見なければいけないものを見ることを恐れてしまってると思うし、だからこそあの展開なんですけど……。なんですけどさ……。

両者の性格の違い、置かれた状況の違いも勿論あると思うんですけど、だけど二人は「目を背けず現実を見つめた」「復讐に走らなかった」という点で綺麗にコントラストになってるんですよね。蛮幽鬼とプロメアを立て続けに浴びせられた私には、ガロがあの悲しい男の至ることのできたかもしれないifにさえ見えたんですよ。今ある何もかもを失うことなく笑って明日を迎えられた土門がガロなのかもなあって。そういう意味で、彼らは類似しているような気がして。ほら……、多大な影響を与えた堺雅人って点も同じじゃん……?な……?

ただまあ、これはまた後ほど書くつもりなんですが、土門は本当に自分の運命を狂わせたものに対しては一ミリの復讐心も向けてないんですよ。最後の最後で、もう何もかもを失ってしまって取り戻せなくなってしまっても、ほんの僅かな時間でいいから正しくあることを選んだ土門という男の生き方を考えると情緒がぼろぼろになる。助けて。

 

土門の話はこの後またしつこく繰り返すので、ここで一旦リオくんと刀衣の話をします。

「消えないニア」であり「キスした相手を失わないヨーコ」であり「村を焼かない蘭兵衛」であるリオくんは各作品での悲しい運命を一人で全部否定するアンチテーゼ的な存在だと思うんですが、唯一蛮幽鬼の刀衣とリオくんだけは逆説関係になってないんですよね。

リオくんはバーニッシュ、刀衣は狼蘭族、共に普通の人間にはない力、人の命を簡単に奪える力を備えた存在である二人は、どちらもその力を「大切なものを守るため」に使っていて。

リオくんは自分の守りたいものが脅かされた時、その力を躊躇わずに使うじゃないですか。バーニッシュはむやみに人を殺さない。その誇りに則って、でも守るべきもののために最大限力を行使してるんですよ。同じく刀衣も自分を救ってくれた美古都を守るためだけに力を使うことを決めてるんですよね。そばに居られるだけでいい、彼女を守れればそれでいいと言いながら。自分が囚われていたものから解き放ってくれた恩人のために力を尽くすという構図に関しては、リオくんというよりマドバの幹部二人の方が近いんですけどね。

実際、刀衣は美古都を守るために自分を犠牲にするようにして死んでいくじゃないですか。美古都の心を守るために。彼女がまだ土門を愛してたことくらいわかってた。ともすれば愛情とさえ呼べるほどの恩義を感じていた人が、それほどまでに愛していた相手を失って悲しむのなんて見たくなかった。だから自分の命を張ってでもその結末を回避しようと足掻いた。誰かのために死ぬことの気持ち良さと彼は形容していたけれど、確かにそれってあまりにも幸せな死に方ではあるんですよね。自分の人生に確かに意味があった、価値があったと思いながら死んでいけるので。

そうやって誰かのために自分を犠牲にした男と同じ声帯をした男が、今度は命を張って守られる側に立ってるんですよ。あまりにエモーショナルじゃないですか。私今これ書きながら泣いてるからね。リオくんは生きることを諦めないタイプだとは思うんですけど、それでも自分が命で大切なものを救えるとわかった時、躊躇いなく捨てるであろうキャラなので、刀衣と同じ立場になったらきっと同じことをしただろうなと思うんですよ。

あと単純にリオくんの太刀筋は中の人の動きを参考にしているので、当たり前なんですけど刀衣の殺陣と似ててヒェェェってなります。刀を片手で無造作にぶんぶん振り回すところとかマジで似てる。あれどういう動きなのか全然理解できないんですけどなにしたらあんなに滑らかにかっこよく刀を回せるんですか。意味わからないんですけど。二次元でしか許されないような動きを三次元がふつうにやっててほんとに脳がバグる。

ほんっっっっとにリオくんのキャスティングの意味がわかるんですよね。だろうね。わかる。

 

 

で、サジとクレイの話をします。

プロメアのところでも軽く書いたんですが、クレイは結局のところガロという自分を肯定してくれる存在によって形を留められてるんですよ。ガロのお陰でプロメアがいなくなり、嫌悪すべきバーニッシュではなくなった。バーニッシュでなくなったからといって過去の出来事は消えなくとも、あの時のように罪を犯してしまうかと力を恐れながら生きる必要がない。それだけで、クレイの身を焼くような呪いが解けるんですよ。自分がしたことの重さが恐ろしくて、だから同じ危険があるバーニッシュを激しく嫌悪した。あの苛烈なバーニッシュへの態度は全て、人の命を簡単に奪える自分の力の否定だったわけで。自分がずっと否定し恐れ続けたものを眼前に晒しても、それでも怯えず怯まず、どころか救ってやるとさえ宣言されることがどれだけの意味を持つか。しかも、どんなに拒もうと拒みきれなかったほどの感情を抱えた相手にそれをされることが、どれだけ重要か。

一方、サジはどうだったか。プロメアという外夷に魅入られ、望まぬ形で力を手に入れたクレイと同じく、彼もまた狼蘭族に生まれたというだけで望みもしないのに殺しの力を開花させられた存在なんですよね。普通に生きていれば絶対に芽吹くことさえなかったであろう才能が、生まれという呪いによって花開いてしまった。その結果、彼は同族にさえ恐れられる悪魔になってしまった。本来であれば力を持つ自分を受け入れるはずの存在にさえ恐れられ、拒まれた。救いの手は、どれだけ待ってもサジの前には現れなかった。

作中で、大君はサジのニコニコとした顔を「何も楽しいことがないとわかった時の笑顔」と表現します。そしてサジはそれに対して「言い得て妙かも」と返す。つまり、楽しいことから逃げられ続けた果ての果てに生まれたのが、あのサジなんですよ。楽しさの記号である笑顔を顔に貼り付けた、自分には与えられなかったもので自分を装った悲しい男。才能を認められるどころか恐れられ、疎まれた。誰も自分を肯定しない、誰も自分を認めてはくれない。信じてくれない。人の手によって生み出された暗殺者が、人によって否定される。おかしくなるなというほうが無理なんですよ。バーニッシュとしての力を見せつけ、リオを躊躇いなく傷つける姿さえ見せたクレイを、ガロは最後まで否定しなかった。救うと宣言した。だけどサジは、彼がどんなに望んでもそうやって救ってくれる人間を得ることができなかった。そうなったらもう、全部諦めて壊れるしかないじゃないですか。

クレイとサジ、二人ともよく似てるんですけど、力を持つ自分を肯定してくれる人間の有無という違いがあるんですよね。クレイも運命をかき乱された人間ではあるんですけど、サジがどんなに望んでも手に入らなかったものを、望むことさえとうに諦めたものを、彼は手にしているんです。そういう意味で、クレイもまたifだったのかなと思いました。

 

そういえばサジって名前、本名じゃないんですよね。最初に土門が名前を聞いた時、ずっと笑っている彼がいきなり真顔になるじゃないですか。名前を知られることはつまり自分という存在を認識されるということで、出会い頭にいきなり自分に踏み込まれそうになったサジの防衛本能だったのかなって思っちゃうんですよね。

今まで散々出会ってきた人間に自分を否定され、拒まれ怯えられてきたであろうサジにとって、名前を知られて自分を認識されることって不利益以外何も産みませんからね。名前は、その人という存在を固定する楔。それを明かしたくないというのは、ある種の臆病な心でもあるんじゃないかなあ。サジは誰かの名前も一度も呼ばなかったですけど、これも当然といえば当然ですよね。誰かに自分を認識されて拒まれるのと同じくらい、存在を認識し、自分の内側に入れた相手に裏切られることは痛いので。

サジは狼蘭族の大半を裏切りを理由に殺してるじゃないですか。ということは、サジは一族のほぼ全員から疎まれてたってことですよね。族長が勝手に決めたことならば、族長だけを殺せばいい。それで終わる話じゃないですか。だけど彼は一族のほぼ全員を手にかけている。要するにそういうことなんでしょうね。大多数からその力は忌むべきとされた。きっといたはずのサジの家族もその中に含まれてますよね、多分。もちろんそんなこと明言はされてないですけど。ああ、そういえば惜春に「実の子供を犠牲にしてまで」って言ってましたね。そこまでして成し遂げたいことなのか、それがわからないサジじゃないのにわざわざ聞いている。サジは謀を否定してましたけど、サジのしてることも惜春とそう変わらないじゃないですか。だからわからないはずないんですよ。だけどわざわざ問いかけた意味とは。

サジに名前を与えた人たちさえも屠ったのならば、刀衣でさえ「狼蘭の悪魔」という呼び名しか知らなかったのも無理はないかもしれませんね。生き残りの同族にさえ名前が知られていないということは、つまり名前を知るものが誰も生きてはいないということなので。名を知りサジという存在そのものを拒んだ人間は皆殺したということかあ。名を知るものがいないで思ったんですけど、サジはとても子供っぽいというか、心の一部が子供のままで止まったような無邪気さがあるじゃないですか。あれってつまり、彼を大人にできるほどに寄り添えた人間がいなかった証左だと思うんですよね。化け物を作り上げることはできたのに、力を身につけさせることはできたのに。肝心の内面に踏み込んでやる大人は誰一人としていなかった。だから思い通りにならなかった時、悲しいことがあった時に癇癪起こして泣きわめく子供のまま、サジの時間は止まっちゃってるんですよね。自分のしてほしいことをしてくれなくて、満たされないから人を殺す。癇癪が殺人に置き換わっているだけで、やってることは根本的に何も変わっちゃいないんですよ。まるきり子供。だけどサジには、子供は持ち得ない力があった。だから皆がサジを恐れた。それが悲しくて「癇癪」を起こした。その癇癪に張り合える大人がいなかった。皆が彼に怯えて内面に踏み込むことさえしなかった。誰も癇癪の理由を知ろうとしなかった。負のループですよこんなの。そうやって、幸せになれないループを繰り返し続けたサジがどんどん頑なになっていくの、ある意味自明なんですよね。

だけど、サジを否定しなかった人間もいるんですよね。とんでもない数の人間の運命を狂わせた様を目の前で見せられて、それでもサジを否定しなかった人がいるんですよ。伊達土門って言うんですけど。

土門は裏切りに対する報復として復讐という手段を選んだじゃないですか。そしてこの手段をより強固に確実なものに仕立て上げていたのがサジだった。 確かに土門は復讐をしたかった、だけどサジのこのアシストがなければ、浮名と唐麿を殺した地点で目を覚ますことも可能だったはずなんです。彼の隣には、復讐を終えた先の未来を語ってくれる存在がいたから。だけど現実は違った。時に揺らぐ復讐心をサジは常に煽り続け、燃料を与え続けていた。だから土門の復讐心は消えてくれなかった。そうして走って行った先にあったのが破滅だった。

破滅を目前にして、全てを知った土門。自分をここまで追い詰められた原因に、そもそも親友を殺したところから、全てサジという一人の人間の存在があったことを知ってしまった。それなのに土門はサジを否定しなかったんですよ。裏切りによって自分の運命が狂った。狂った運命をサジによって引っ掻き回された。それでもサジに憎悪を向けることはなかったんですよ。

それは裏切られることの痛みを知る土門だからこその行動とも言えるんですよね。実際土門はサジの過去の話を聞いてますしね。そうして土門が自分の過去に共感したことさえもサジは利用しようとしてるのがあまりにも悲しいところではあるんですけど。でも、サジのそういう思惑を知ってもなお、裏切られたらどれほど苦しいかを知っているから、かつて自分がされたのと同じことができなかったんですよね土門は。サジも、彼を信じた自分自身も、どちらも裏切ることなんて土門にはできなかった。

ちょっとだけ話が逸れるんですけど、私が蛮幽鬼で一番好きなシーンは最後の戦いで「今度会った時は本当の名前を教えてくれ」って言うところなんです。このセリフ自体、続く「ないよ、本当の名前なんて。君には、あるのかい?」「それもそうだな」という作品の本質部分を表すやりとりへ繋げるためのセリフということもあり、単体ではあまり重要ではない印象を受けてしまうんですよね。だけど、自分の運命を全て狂わせた男と命の奪い合いをするその最中に「今度会った時」という未来の話をするって考えるとあまりにも苦しくって。普通はもう会いたくないでしょう、そんな男と。そもそも互いにもう未来など無い状態なんですよ。全身傷だらけの土門と、窮地に立たされているサジ。敵同士かつお互い死にかけているのに、それでも、それでもまた会おうと土門は語る。しかも、本当の名前を聞かせてくれとまで言うんです。さっきも書いたんですけど、名前はつまりその人の存在を認識するための記号じゃないですか。それを聞かせて欲しいと願うんですよ。自分の未来を壊した男に対して、本当のお前が知りたいと告げる。土門はサジを親友だと信じていた。だから、例えどんなに残酷な真実を知ってしまったとしても、土門は信じたものを裏切ることを選ばなかったってことなんですよね。土門は死に、復讐の鬼である飛頭蛮だけが生き残ってしまったところがこの話の悲しさではあるんですけど、サジに対しての態度も、自分の死を国の安寧の礎にしろと言い残して死ぬところも、行動があまりにも伊達土門その人のままで。そこもまた苦しいポイントで。

話を戻すんですが、サジは土門に対して「‪君との友情に誓って」とか言ってたじゃないですか。あまりにも似合わない発言なんですよね、これ。当然のようにペナンに疑われてましたけど、ペナンじゃなくても誰しもがサジの言葉を嘘と捉えると思うんです。まあ実際嘘でしょう。友情を誰より信じられていない男が、そう易々と口にする言葉じゃあない。しかもサジ自身も嘘と思われることを否定してなかったじゃないですか。ペナンに返した言葉、冗談めかした殺すよ?ですからね。

それでも土門は、土門だけはサジの言葉を真実にし続けたんですよね。真実を知っても、彼に対する恨みを全く口にしなかった。一度も責めなかった。それどころか、また会う約束さえしようとした。信じる必要などもはやどこにもなくなっても、最後まで土門はサジの言葉を肯定し続けた。監獄島で出会い、サジの体を刺し貫くその時まで、ずっと土門はサジの友であり続けた。

サジがサジになってしまう前ならばきっと救われたであろう行動を取り続けているのが他ならぬ土門なんです。ただ、じゃあ単純にサジと土門がもっと早く出会っていればいいかと言われたらそれは違っていて。復讐の先にある虚無を知り、飛頭蛮として死ぬことを運命づけられたあの土門でなければサジの救いになることって不可能なんです。裏切りの痛みと、復讐の無意味さを両方知っている土門、すなわち飛頭蛮でなければ、あの駄々っ子を受け止めてやることはできなかったと思うんです。そして飛頭蛮という存在は、サジが一族から裏切られなければ生まれ得なかった。結局はどうやっても欲しいものを手に入れられてないんですよね、サジは。だけど彼がかつて欲したであろうものは、確かにそこにあったんですよ。

かつて彼が欲しがったものがその命を終わらせたと考えると、あの結末はある意味サジにとって救いだったのかもしれませんね。サジはきっと、あのまま生き残ったとしてもずっと監獄島から出られず、いつまでも鎖に繋がれたままだったろうと思うので。それならいっそ、自分が欲しかったものに終わりにしてもらえるのは、それはとても幸せなこととさえ思えてしまうんですよね。

 

 

 

 

はい、はいはいはい!!!!ご覧の通りです!!!!見事に情緒がボロッボロですよ!!!!

私ここ2日ほどずっと令和になってまさかサジの考察がこんなに読めると思わなかったって延々泣いてますからね。新しい時代に新鮮な蛮幽鬼の感想が入れ食いになるとか意味わからんから……、もうほんと意味わからんからありがとう中島かずき……、ありがとう……、圧倒的感謝……

 

10年前、ニコニコ笑いながら人を殺すサジが心の奥深くに突き刺さり、10年後、同じ枠組みにいたクレイに出会っていつのまにかこんなことになってました。本当に今自分の感情に溺れそうになってますからね。

ちなみに私は無事に予定していた飛行機の次の便で帰宅しました。職場の人に「何をしに行ってたの?」と聞かれ「舞台とアニメのぶっ続け上映6時間耐久レースで情緒を狂わせてきました!」という事実をめちゃくちゃオブラートに包みました。帰宅難民になった時には、もっと説明しやすい案件で遠征しておくべきだなと思います。

 

 

それにしてもこの2ヶ月、ほんとに楽しかったです。

花髑髏もシレンとラギも、見たいものは山ほどあるのでまだまだ駆け抜けていくと思いますが、とりあえずこのプロメアへの熱狂は一旦ここで区切りを迎えることになります。たぶん、もう劇場で見られる機会はないと思うので。寂しいやら名残惜しいやら、ちょっとよくわからない気持ちだけど、とりあえずプロメアの円盤が出次第、一人でまたこの二作品の上映会をしたいなと思いました。地獄へようこそ。

 

以上です。